宣誓〜ロイver

act.4


「今日は護衛は要らない。女性との約束があるのでね」

「視察のお供はブレダ少尉に頼むよ。あそこの管轄は彼の隊だったはずだろ」

何かにつけて自分の護衛をしたがるようになったハボックを、もっともな理由で懸命に自分から遠ざける毎日が続いた。いい加減言い訳を考えるのにも疲れてきたと言うのに、一向に諦める気配がない。

(あの事件以来としか考えられん…時期的にピッタリだし…)

自分がハボックへの気持ちに気付き、態度が豹変したのも全く同じ頃からだと言うのにそれに気付けないマスタング。
理由が理由なだけに不平不満を言わず素直に従っている今はいい。逃げられない状況に自分が追い込まれた時に、もし気付かれでもしたら…と思うとその先を想像するのが恐ろしかった。
ハボックにしてみれば、己の使命感で自分を守ろうとしているのだろう。そうと分かっていても、どんなに情けない理由だからだとしても。それでも自分を守ろうとしてくれる事実に、もう溢れ出す気持ちが誰かにバレるのは時間の問題だった。
ふと目で追ってしまう。
声が聞こえると身体が強張ってしまう。
あいつの気配に振り返らないようにすると動きが不自然になった。

(もう限界だ…)

あぁーっと情けない声を出したくなって、がたりと音を立てて立ち上がった。積まれた書類を見ないようにして部屋を出ると、殆ど人の寄り付かない資料室へと向かった。
考えに煮詰まって多少騒いでも大丈夫だろうとそこに赴いたが、いざそこに到着するといつまでも同じ事を考えていても埒が明かないと思い直し、気分転換に錬金術の資料を漁った。
目にとまった資料を数冊引き抜くと、ソファに寝転びながら手の届く位置に積んだ。手に持った本を自分の胸の下辺りに立ててページを開いた。

(いい天気だな…)

ついさっきまであんなに煮詰まって、どろどろした考えが頭の中を渦巻いていたなんて、忘れてしまうほど窓から差し込む陽の光は穏やかだ。
色々考え込んで進まない仕事、余計な思案に眠れない毎日。悪循環が生み出す澱みにはまり込んだ自分が、とてもちっぽけに感じた。
ふと、どうにかなっていくのかもしれないと思った。何をそんなに思い悩んでいたんだろう、と。
きっとあいつは自分から離れて行かない。だってこんな自分を守ろうと追いかけてきてくるのだから。
副官としての役目を果たそうという意味でなら、自分が上を目指す限りついてきてくれるだろうという答えにようやく辿り着き、それならそれだけで充分じゃないかと思った。

(嫌われるかもしれない。
そう思ったが、どうやらあいつは私の気持ちに気付いていないようだ。
それならまだ・・・)

陽だまりに身を委ねてゆっくりと瞼を閉じる。

(なんとかなるかもしれない。深く考え過ぎたんだ、だから上手く立ち回れなかった・・・もっとシンプルに行動すればよかったんだ・・・)

ポカポカと暖かい日差しに包まれ、まるで今、何かに守られているような錯覚に陥る。
こんなに穏やかに迷いを放棄したのはいつ振りだろう?
あまりの開放感に眠気が襲う。 そしてすぐに静かな寝息が聞こえ始めた。



(・・・何だ?)

人の気配を感じ、意識が戻ってくる。
足元に感じたそれが、うっすらと開けた視界の端にゆっくりと自分の上に被さる様に手が伸ばされるのを捕らえた。

固定される体。
圧し掛かる体重。
降って来る感触。

フラッシュバックの様に脳裏に蘇る。
頭で考えるより早く体が反応した。寝起きとは思えない俊敏さで頭と思わしき辺りを狙って思い切り蹴りを放った。
しかしそれを腕でガードされ、そのまま覆い被さる様に拘束された。
ぞわりとしたものが背筋を駆け抜けた。

「っ!」
顔を引きつらせて息を詰める。

「落ち着いてください、俺です」

目を見開いてハボックを凝視した。じわりと全身が冷や汗に濡れる。
忘れていた息をつくと、息が上がっている事に気付く。

「…ハボック…」

ようやく言葉を発すると、ほぅっと体から力が抜けるのを感じた。
脱力した自分を見つめながらかけていた体重を退けると、体勢を起こすのを手伝いながらハボックが言った。

「嫌な夢でもみたんですか?」

嫌な夢…。起きた途端に見たというのが正しいかもしれない。あの時の事を思い出すなんて自意識過剰になっているのか…。
せっかくあんなに全てが上手く転がせそうな気分になっていたというのにマザマザあの時の事を思い出してしまい、一気に心境は執務室を飛び出した時と同じ所まで戻っていってしまった。
なんとなく気まずくなってそそくさと着衣を確認し整え、何か言わなくては…と口を開く。

「…本を戻しておけ」

早くハボックの視線から逃れたくてソファから腰を浮かせた瞬間、ガッと腕を掴まれてソファへと引き戻された。

「待ってくださいよ!」

ハボックにしては珍しく声を荒げて、その手には引き止めるだけにしては強い力が篭っていた。

「・・・手を離したまえ少尉」
「嫌です」

間髪入れずに言い返され、更に強く握られた。
言葉か、痛みか…小さく眉を顰める。

「命令に背くのか?」

我ながら卑怯な台詞だ。
一見上官を軽視している様に態度を取られがちのこの部下が、自分に逆らえない事を知っている。事実そう言われて微かにハボックの顔色が変わった。
それでもまだ手を離そうとしないハボックに、逃げるのを諦めて溜息をついた。

「逃げないから離したまえ」

瞬きを忘れたように身動き一つしないハボックから視線を逸らすと彼からの反応を待った。重たい沈黙が周囲を支配する。

(じんじんする…)

痺れてきた腕の痛みを頭の端でぼんやりと感じ取ると、いつまでも返って来ない反応に顔を顰めながら腕を振り解いた。

「痛いんだ少尉。痕が残るじゃないか」

戻ってくる手の感覚に先程までとは違う痛みが襲う。
手持ちぶたさにその腕を軽く支えながら握っていると、ハボックがようやく重い口を開いた。

「どうしてそっち向いてんですか?」
「・・・別に理由などないさ」
「理由がないならこっちを見てください」
「こちらを向いている理由はないが、そちらを向く理由もないだろう?」
「嘘ですね」

なんだかきまずいからだとも言えず口から出任せに受け答えていたら、そんな理由で言い逃れるなど許さないとでも言うように一蹴されてしまった。

(もう無理なのか?潮時…ってやつなのだろうか…)

一つ話せば芋蔓式に全てばれてしまう現状に、血の気が引くのが分かる。
しかし、そう思いながら尚も逃げる事を諦めていない自分が嫌になる。
髪を掻き揚げるように額に手をやると、ハボックの質問に答える事なく中尉が呼んでいるんじゃないのか?と言って今度こそソファから立ち上がった。
とにかくこの場から離れようと扉の方を向くとハボックも立ち上がり退路を絶った。
ぐっと言い淀んでからようやく退きたまえと言うと、信じられないくらいに怒りを含んだ低い声で言い詰められた。

「なぜ俺と目を合わせないんです」

どくりと心臓が波打った。
確実に己へと向けられた感情にビクっと肩が揺れた。
喉の奥が熱い。
必死に唾を飲み下す。

「・・・気のせいだろう。被害妄想じゃないのか」

そんなわけない。確かにこいつを避けている。
理由も分からず避けられたら誰だって気持ちのいいもんじゃないだろう。こいつの怒りももっともだ。
嘘をついている自覚があるから余計に目を見て答えられない。

「違う!もう何週間も仕事上の会話しかしてないじゃないですか!今だって俺を避けるような態度で・・・被害妄想だって言うならどうして今でも目を逸らしてるんです!?」

ハボックの声が鼻に掛かったようにくぐもっている。わずかに掠れていたのは気のせいじゃない。
口をついて溢れそうになる言い訳に口を開きかけて、ハボックと目が合った。

(何を言うつもりなんだ?)

止まってしまった言葉はそのまま飲み込まれてしまった。悔しそうに唇を引き結び、淋しそうな・・・哀しい表情で自分を見つめてくる目をそれ以上真っ直ぐ見れずに顔を背ける。

暫くすると足音が自分から遠ざかっていくのに気が付いて顔を上げた。
俯きながら歩いていく後姿を呼び止めたいのに、なんて声を掛ければいいのか分からずにパタリと閉じられるドアをただ見つめていた。

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