宣誓〜ロイveract.2
「お一人とは珍しいですな」 カウンター越しにマスターが話しかけた。どこか寂しそうに笑ってみせる男に、慰めるように新しい酒を差し出した。 いつもご愛顧していただいてるお礼です、と客人の嗜好を酌んだ軽いツマミを添えると、驚いた顔もそこそこにフフっと笑うとありがとうと穏やかに言われた。 「マスター、人の気持ちとは単純で・・・複雑だな」 カラカラと氷を鳴らしながらグラスで遊ぶように酒を回す男を、洗ったグラスを拭きながら横目で見る。 一週間の真ん中の、しかも深夜とあってもう他に客はいない。 とことん話に付き合ってもいいか、とトーションを置くと酒をたった今拭き終えたグラスへ自分の為にと注いだ。 「ご一緒してよろしいですか?」 酒の注がれたグラスを見せながら聞くと、ひた、と見つめ返され 「もちろんだとも」 そう言ってグラスを掲げ、乾杯、と言って男・マスタングは一気に酒をあおった。 「何か思い通りに事が運ばなかったんですか?軍人と言うのは因果な商売なんでしょうな」 先程と同じ酒を空いたグラスに注ぎながら、マスタングに何気ない口調で話しかけた。 ・・・そうだな、と伏し目がちに真顔で呟く相手にどうしたものかと思いながら口を開く。 「自分の気持ちさえはっきりしていればきっとどんな事でも乗り切れますよ、サー。東方司令部にあなたありと言われる程なんですから。頼りにしてるんです、皆」 そう言いながら自分の持っていたグラスをぐいっと空ける。 つられる様にしてグラスを空けたマスタングの手からグラスを取り上げると、彼を労わる様に言った。 「過ぎたるはなんとやら。もう今日はこのくらいに・・・。また御贔屓にしてください」 マスタングは情けなさそうに笑うと、マスターに酒を止められるとはな、と諦めたように言ってカウンターに金を出した。 「邪魔したな、ありがとう」 マスターは立ち上がりながらそう言う背中に、またどうぞ、と月並みな台詞を言って見送った。 パタリと静かに扉を閉める。明かりのついていない部屋は、優しい月明かりの漏れる窓だけが際立っている。 その光を頼りに部屋の中を進み、寝室のベッドの前まで来るとコートを脱ぐのも面倒でそのまま前のめりにばったりと倒れこんだ。 ほどよいスプリングに体が支えられ、そっと目を閉じる。明日も通常勤務。もう時計の針は2時を過ぎていた。 (眠らなくては・・・) 気持ちだけが焦って全く眠れない。一日デスクワークをしていたからだろうか。 酔いが冷めるにはまだ早いというのに酔った余韻がすでに感じられない。もしかしたら最初から酔ってなどいなかったのかもしれない。 小さく舌打ちをすると、のそりと起き上がりシャワーへと向かった。 コックをひねりながら頼りにしているんです、と言ったマスターの言葉が頭を過ぎった。 フン、と鼻を鳴らして己を嘲ると全てを振り切るように乱暴に頭を洗った。 リビングに戻り、冷蔵庫から酒を取り出すと氷の入ったグラスに並々と注いだ。 ふーっと溜息を吐くと一口、口に含む。 じんわりと暖かい感覚が胃まで進んでいく。 どうすれば眠れるだろう・・・。そんな事をぼんやりと考えながら、今日見た青い空を思い出した。 青い空。白い雲が風に吹かれて細く流れていく。揚々と降り注ぐ日の光。そのどれもがハボックを思わせる。そう考える自分はもう末期だ。どうにも止まらない気持ちに歯軋りする。 女誑しと言われる自分がどうしてあんな、しかも男に懸想してしまったのか。 バーで口にした人の心とは実は自分の心の事を言っていたマスタングは、好きだと気付いた複雑な思いと、それをなかった事に出来ない単純な思考回路にいらいらとしていた。 (あいつがいけないんだ。こんな自分に構うから) 今までヒューズ以外、誰も自分と深く関わろうとしなかった。士官学校の時だって、クラスメイトとは名ばかりの連中と熾烈な争いがあるだけだった。争いには興味がなかったが、国のトップに立つためにはそれに勝たなくてはならなかった。 文武両道においてトップクラスのマスタングは、そんな連中から嫌がらせ、やっかみ、妬みに嫉み。錬金術師として国家資格を取得した暁にはもれなく上級生、上官からもその念を一身に受けた。 戦わなければ、自分を誇示しなければ潰されるかもしれない恐怖に、必死に社交性を身につけ身を守ったものだ。 あれこれ手を尽くして、上辺だけでも構わない、と形振り構わず走り回っていた頃を思い出す。 「あの頃に比べたら丸くなったもんだ、なぁヒューズ」 ここにいない親友に話しかける。 しかしその当時そんな状況の中を支え、側にいてくれたヒューズにすら、今自分がハボックに抱くような感情を持った事はなかった。 心を閉ざしっぱなしの自分をよくあいつに叱咤された。 自分が女誑しと言われる所以はヒューズにあるのだ。あいつに女を作れと言われた。心を癒してくれる存在を作れと。 誰にも満たされない心に、一時の至福を与えてくれる女性を求めて・・・。そして気付けば女誑し、女好き・・・等々といった浮き名が与えられていた。男にとって名誉なのか不名誉なのかよく分からない副産物に自分は満更でもなく、そのまま現在に至る。 誰か一人に執着する事が怖い。 その誰かを失った時が恐ろしい。 儚い灯火のように散っていく命を嫌と言うほど見た。 散らせたのは自分だ。 時間にすれば刹那。目にするには瞬きすら許されないその一瞬で、多くの命が消えていった。 ぶるぶると頭を振ると持っていた酒を一気に飲み干す。カラになったグラスをテーブルに置くとどさっとソファにもたれた。 (あいつがお節介をやくからこんな・・・) たかだか仕事の上司にプライベートでまで世話を焼き出したのはいつだったか。確か冷蔵庫の中身を見られてからだ。軍人なんだからちゃんとしてくれと言う部下に、副官の補佐をする護衛官としてそこまで面倒見たまえ、的な台詞を吐いた覚えがある。 それを真に受けて甲斐甲斐しく食事の用意をしているハボックを思い出して胸の奥が暖かいもので満たされていく。 初めて見る部下の意外な一面を面白く感じてずっと飽きもせず眺めた。出来上がったと呼ばれて目にした料理は、無骨な軍人が作ったとは思えない程家庭的で。 「料理が得意とは知らなかったな」 「兄弟が多かったんで、両親が不在の時なんかに作らされたんすよ、弟妹に」 家が雑貨屋やってるんでご飯時に親がまだ仕事中という事はざらだったと語るハボックは穏やかな表情をしている。きっと田舎を思い出しているのだろう。 暖かな家庭で育った彼を少し羨ましく思いながら、促されるままに料理を口へ運んだ。 普段高級レストランで食事をとるマスタングは初めて口にしたやさしい味に感動した。 「こんな味付けは初めてだ・・・」 言葉を無くして料理を見つめるマスタングに、恐る恐るやっぱ口に合いませんかね・・・?と伺うように聞いてくるハボックに勢いよく顔を向ける。 「すごくうまいぞ!あっさりしてておいしい。レストランの料理はこてこてと脂っこいし、同じ味ばかりでうんざり思っていたがこれなら毎日でも飽きない」 ウキウキしながら手を動かすと、皿が空になるまで休むことなく口を動かした。 腹も一杯になり満足して椅子に背もたれながら礼を言った。 「ご馳走様、本当にうまかった。こんなに我を忘れて食に走ったのは初めてだ」 唖然と見つめ返してくるハボックが、少し頬を赤くしながらガタガタと慌てて立ち上がり、 「デザートもありますよ、あんた甘いもん好きっしょ?」 と言って冷蔵庫からキレイな色をしたゼリーを取り出した。浅いカクテルグラスにキラキラと光を反射させながらおいしそうな生クリームで飾りつけられたそれを見て、絶句してしまった。 こんなにうれしい騙まし討ちに、喜ばない奴はいないだろう。料理だけでなくデザートまで作れるハボックに大きく目を輝かせながら、お前の特技を覚えておこうと言った。 「料理よりおまけに喜ぶなんて、あんたらしいっつーか・・・」 口元を隠すように手を当ててそっぽを向くハボックが、照れているとわかって思わずにんまりと笑った。 「お前でもそんな殊勝な顔をするんだな」 「俺の事なんだと思ってんですか!からかわないでくださいよ」 デザート食べさせてあげませんよ!?と意地悪を言うハボックがすごくかわいらしく感じて、なぜかひどく嬉しかった事を今でも覚えている。 いつも飄々と何事にもあまり動じない部下の初めて見せる顔だった。その顔としぐさがあまりに新鮮で、まだ自分の知らないこいつの素顔を全部知りたいと思った。 何度かそうして食事を作ってもらうようになったら、作りに来ない日がひどく味気なく、色褪せた日常に感じられた。 いつのまにか染み付いた部屋の匂いに安心する自分に気がついて愕然とする。 (まさか・・・私がハボックを・・・?) 最近女性と食事に出掛けなくなった自分に気付く。 その時間よりもハボックと過ごす時間を心待ちにしている自分がいる。 (まずい) こんな事、誰にも知られる訳にいかない。どこをどう通って本人の耳に入るか分からない。軍属に身を置いてきてその手の話は嫌と言うほど耳にしてきたが、まさか自分がそこへ足を踏み入れようとは思いもしなかった。 ハッキリ好きだと気付いてしまっては今まで通りの振る舞いが出来ずに今日はハボックの事をこれでもかと言う程避けてしまった。 もしかしたら今笑うのは不自然かもしれない。そう思うと顔が強張った。 野郎なんかを見つめていたら変に思われる。そう考えると視線は不自然に泳いだ。 一体どうしたら・・・! 頭を抱えてはぁーっと大きく溜息をついた。そして気がつけば外はいつの間にか白んでいた。 こんな事…いっそ気付かなければよかった。そう悔やんでも後の祭りだった。 結局一睡も出来ずに出勤の時間を迎えたマスタングはいつもより早く身支度すると朝食をとる事も忘れて家を出た。 朝日が眩しく目の奥がずきんと痛んだ。これは純粋に眩しいのか、寝不足なのか・・・。原因が分からない事に軽く溜息を漏らしながら司令部へと向かった。 部屋の扉を開けると、少し驚いたようにホークアイ中尉がおはようございます大佐、と顔を上げた。 おはようと返しながらコーヒーを所望する。 給湯室へと向かう背中を眺めながらどかりと自席に腰を沈めた。はぁっと溜息をつきながら机上の書類を横目で見る。 昨日残業をして全て片付けたと言うのにもうこんなに回ってきたか、忌々しい! っちっと誰にも聞こえない程度の舌打ちをすると、コーヒーを片手に本日のスケジュールを確認すべくホークアイが戻ってきた。 「・・・となります。午後からはスラム街に関する・・・聞いていますか?大佐」 不意に呼ばれてあぁ、聞いているとも。と慌てて答えると、ふぅ、と溜息をつかれてしまった。 「大佐、私は昨日遅番でしたので昼までのシフトです。午後からはハボック少尉に護衛をさせますのでよろしくお願いいたします」 その言葉に「今聞いておかないと分からなくなっても知りませんよ」と釘を刺されたのだと気付く。 軽く咳払いをしてスケジュールの続きを読み上げるホークアイに、全く、君には敵わないな。と小さく呟いた。 ふと時計を見上げると昼食休憩時間が近い。ホークアイに見張られていた事もあり書類は粗方片付いていた。 「中尉、少し早いが昼食をとってくる。そこの書類にはもう目を通してあるからよろしく頼むよ」 「Yes, sir」 椅子から立ち上がりながら大きく伸びをすると隠しもせず欠伸をした上司に、くすりと笑ってお疲れ様ですと見送るホークアイの声に右手を上げて応えると、あぁ、中尉もご苦労、と言って部屋から出て行った。 食堂に行こうと席をたったが、どうにもわいてこない食欲にどうせなら昨夜取り損ねた睡眠をとろう、と日当たりのよい中庭へと足を向ける。 ざわざわとにぎわい出した周囲に、皆が昼休みを取り出したと分かる。 中庭には木が少し植えてある程度の為、そこに留まる人は少ない。ほとんどが素通りしていく。その為木陰に隠れてしまえば、ちょうどよい隠れ場所の出来上がりだ。人通りはあるが人目につきにくい、そんな場所なのだ。 「今からだと会議の開始時間が・・・とするとまるっと1時間はいけるな」 もはやマスタングの中で昼食は取らないものとなっており、会議の始まるギリギリまで惰眠を貪ろうと企んだ。 人間、究極の欲求は睡眠だという事を身を持って知る。 徹夜したため今更ながらに強い睡魔に襲われているマスタングは、適当な木陰を見つけると上着を脱いで丸めるようにたたんだ。 ばさりと木の根元に置くとそれを枕の替わりして横になる。ふぅ、と息を付くと驚くほどの早さでまどろんでいった。