宣誓〜ハボver

act.2


思いの他水道管の処理に手間取り、定時をとっくに過ぎて司令部に戻ってくると、部屋には夜勤であるブレダが一人でデスクワークをしていた。

「よう、お疲れさん」

ハボックに気付いて労いの言葉をくれるブレダに、そっちもお疲れさんと肩を叩いてどかっと自分の席に座り込んだ。
報告書を書くのは明日の朝一にやれば間に合うから今日はとりあえず上がろうかなどと考えていると、明日は朝一で演習がある事を思い出して今やるしかないかーと頭を掻いた。

「ハボ、あんまりガシガシ掻くと禿げるぞ」

ニヤニヤと茶化してくるブレダにうるせぇっと返すと、ハボックの髪や背中をはたきながらブレダが言った。

「つーかお前埃まみれじゃねーかよ。撒き散らしながらここまで来たのか?」
「そんなにひどいか??最近雨降ってねーから外出ると土埃がひどくってさ」

おまけに今日風強かったから参ったよ。と言いながら立ち上がってブレダに背を向けた。鏡を見たら、きっと呆れるほどボサボサの頭をしているのだろう。外での作業が手間取ったのは風に邪魔された事も原因だった程今日はとにかく風が強かったのだ。
自分では届かない部分の埃を払ってもらっていると奥の部屋から帰り支度をしたマスタングが疲れた面持ちで出てきた。

「お疲れ様です、まだいたんですか?」
「お疲れ様です。大佐も何か言ってやってくださいよ、きっとこいつが通って来た所埃まみれになってますよ」

上官に利く口ではないと言うのにマスタングには相変わらず気にした様子がない。
ハボックはホールドアップしたまま振り返ってマスタングを見ると、横を向きながら仕方ない奴だ、といった感じでシャワーぐらい浴びてからここに来いと言うとさっさと帰ってしまった。

「・・・なんかおかしくないか?」
「そうか?ちょっと機嫌は悪そうだったけど、そんだけだろ?」

そうかなぁとはてなを飛ばしながら腕組をして考えるハボックに、お前明日早番だろ?早く帰って寝ろよとだけ言うとやりかけの仕事に戻った。ブレダの言葉にそうだった!と慌てて報告書を仕上げると、早めにベッドに入る為に家へと急いだ。



よく考えたら夕飯を食いっぱぐれていた事を思い出したハボックは、彼にしては珍しくファーストフードを頬張りながら家路に着いた。そしてようやく熱いシャワーを浴び、ソファーに座りながらタバコを取り出す。

(そういや今日大佐に感じた違和感ってなんだったんだろう・・・?)

煙を吐き出しながら今日のマスタングとのやり取りを思い出してみる。別段変わった事はなかったはずだ。なのに胸に残るもやもやは消えてはくれなかった。そうしながらお菓子を差し入れた時の様子を思い出してまたクスっと笑った。

(相変わらず甘いもん好きだよなーあの人は。食いもんでつられちまうんだからかわいいよな)

いつからだっただろうか、あの傍若無人の上司に対してこんな事を思うようになったのは。赴任した当初は、自分の上官は自分の世話を当たり前のようにやりこなす人種だと思っていた。
しかしひょんな事から全く真逆の人種だったと知れた。
誰からも何も言われなければ家ではもちろんの事、司令部にいる時ですら食事を疎かにするのだ。
軍人の癖に、と突っ込むと口を尖らせながら

「それを管理するのも副官を支え、共に護衛する者の役目じゃないのか」

と言い出す始末である。ホントにこの人もうすぐ三十路か!!?と唖然とする。それに付け加えて国軍大佐という地位にありながら、いつもされるあの子ども染みた言い訳。他の上官達とは違うと思ってはいたが、その辺だけはどうだろうと考え失笑する。

兄弟が多かったせいだろうか、世話を焼くのが癖になっているのかもしれない。そんな不摂生な上司を放っておけず、食事を何度かマスタングの自宅に作りに行った。
自分の作る食事を普段の彼からは想像出来ない程の素直さでおいしいと褒められた時は本気で照れた。 照れ隠しに、デザートもありますよ、あんた甘いもん好きっしょ?と席を立ち、冷蔵庫からゼリーを取り出して振り返る。すると今日のマスタングのように期待に目をキラキラさせながらその視線はゼリーではなくハボックへと向けられていた。



(・・・あれ?)

ふと我に返る。
なんだろう、この感じ。・・・あぁ、大佐の視線だ。
そう言えば今日は自分ではなくクッキーに目を奪われていたようだが、それはそれを作ったのが自分ではなく、市販されている物だったからだ。あの時の様に視線が自分に向けられなくても不思議はない。・・・のに。
いつの間にか短くなっていたタバコを灰皿でもみ消すと、すぐまた新しい物を銜えた。
何かスッキリしない思いのまま、首をひねりつつ再び思い出へと思考を飛ばす。



「お前にこんな特技があったとは知らなかった!覚えておこう」

きっとこの時なのだ。
ギャップにやられたのだ。
きっとそうだ。

認めたくないと思いながら、どんどん彼はハボックの心に進入してきた。まるでカスカスだったスポンジに水が染み込んで行くように、じわじわとゆっくりではあったが・・・しかし確実に自分の心が満たされていくのを感じていた。
うれしそうに笑うあの黒い瞳。職場で見せるような隙を見せない笑みとは違う、安らぎに近いような微笑み。
あの時のそれは確かにハボックだけのものだった。
ギスギスした世界に身を置いているあの人が、初めて自分に見せた安らぎの表情だった。
満足そうに目を細め、やさしく笑ったあの顔が今でも忘れられない。
自分にだけ向けられたあの表情を、独占したいと思ってしまった。
そしてその表情を作り出せる存在が自分一人なら・・・と。

彼には腹心の部下も、親友と自他共に認める人もいる。自分がそんな存在になれるはずないと分かっていても捨てきれない欲を恨めしく思いながら、マスタングとの触れ合いに心を躍らせる自分を滑稽だと他人事のように考えている自分がいた。
女との噂の絶えない、女好きで有名なマスタングにこんな気持ちがバレたら。おそらく…というか絶対に即どこかの司令部に飛ばされるのだろう。

それだけは嫌だ。

彼の野望が達成されるその日まで、彼を守る盾であり続けたい。
彼を助ける剣でありたい。
その為ならこんなちっぽけで浅ましい想いは隠し通すと決めたのだ。
親友のブレダにさえ話していない。
自分もボインの女が好きであると仲間内で知らぬものはいない。そう、例え無類の女好きとまではいかなくとも、恋愛をするなら可愛い女の子がいい。先日もケーキ屋の女性に見とれたばかりだ。
正確には胸に釘付けだったわけだが・・・。こんな自分に少々情けなさを感じながら、それでもだからこそ普段通りにしていれば大佐への気持ちが誰かにばれる事はないだろうと思う。
自分だって大佐でなければ男なんて気色悪いだけ。だからこんな大男から好かれていると分かったときの大佐の反応が恐ろしくて想像すら出来ない。
絶対に隠しておかなければ・・・。

百面相しながら思い出に耽っていると再びハッとした。

「あ・・・?」

思わずタバコを落としそうになり、うぉっと!と寸でのところで口に銜え直す。
違和感の正体が分かった気がした。
そうだ、昨日までと違うところはここかもしれないと顔を顰めた。でも理由はさっぱり分からなかった。
いつだって零れ落ちそうになる気持ちを必死に塞き止めてきたのだ。溢れた水は懸命に拭取って、誰にも気付かれないようにと、細心の注意を払ってきた。
だからバレてはいないはず。でも・・・。
思い当たった違和感の正体に、もし当たりだとすると明らかに自分にだけだろうと思うとひどく凹んでいく気分に居た堪れなくなった。

「もう寝よう!そうしよう!!」

まだ長いタバコを灰皿に押し付けると勢いよく立ち上がりベッドに入った。
ごそごそと何度も寝返りをうつ。 もやもやと考えてしまい寝付けないかと思ったが、外での長時間に渡る重労働で体だけはしっかり疲れていたため、ハボックはいつの間にか深い眠りへと落ちていった。

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