宣誓〜ハボver

act.1


「失礼しま〜す」

ハボックの気だるそうな声とノック音が静かな部屋に鳴り響く。と共に入室の許可を得る前にマスタングの執務室のドアが開いた。
ここでそんな事を平然とやってのけるのはこの部屋の主であるマスタング大佐がそういった事に対して他の上官達と違いうるさく言わないからである。
というか何度か注意された覚えはあるが、今では特に何も言われなくなったので諦められたのかもしれない。

「大佐、これ急ぎなんでサインください」

くわえたばこから煙を燻らせながら上官の机に近づくと、そう言いながら書類を一枚マスタングの目の前に差し出した。今まで読んでいた書面から目を離す事なく手で机を指差し、暗に書類を置いて行けと促された。ハボックはいつもならどんなに忙しくても返事位するのにそんなに重要書類なんだろうかと考えて、頭を掻きながら天井を仰ぎ見た。

「あー…申し訳ないんですけどこれ今すぐ提出に行かないといけないヤツなんですよ」

だから、と更にずいと差し出された書類に、マスタングは漸くチラっと目をやると軽い溜息と共に背もたれに背を預けた。眉間に軽く皺を寄せ、瞳は閉ざされている。

「ハボック小尉、急ぎの書類はそれだけではないんだが?」
「水道管の処理に小隊を手配する書類ですからホントにサインだけです」

急かされて持って来た奴なんでお願いしますよ。
肩を竦めて情けない声を出したハボックに、マスタングは少々乱暴に部下の手から書類を引ったくるとサッと目を通してサインをし、スッと差し出した。

「Thank you, sir.」

機嫌の悪さはこの書類の山のせいだろうかと思い、それだけを言うとそのまま部屋を後にした。

「今日は確かずっと部屋に籠もりっ放しだっけか・・・」

サボり癖のある大佐にしては珍しいよな、などと思いながら

「後でコーヒーと差し入れを持って行って機嫌直してもらうか」

ハボックはそう独り言を言いながら、後でマスタングの所へ行く言い訳が出来た事に顔を弛ませながら書類を待っているであろう大尉の下へと急いだ。



小隊に水道管の処理に行くよう準備をさせている間に先日買っておいたお菓子をロッカーから持ち出すと給湯室へと向かった。
給湯室にはホークアイが居た。いつもは上官の脱走に不機嫌そうなオーラを纏っている事の多い彼女からそれを感じないという事は、やはり今日は仕事をサボってはいないようだ。

「中尉、休憩ならこれも一緒にいかがっすか?」

ノー天気にお菓子の袋を顔の横まで持ち上げてガサガサと振って見せる。しかし振り返ったホークアイの顔にははっきりと不満と言う文字が書かれていた。
あれ・・・?
てっきり機嫌がいいものと思ったとは言え、軽はずみな発言を悔やみながらそろそろと袋を下げた。
罰の悪そうな顔をして給湯室の入り口に立ち尽くしているハボックを見てホークアイは噴出した。

「少尉、別に怒っているわけではないのよ。おいしそうね、ありがとう」

小さく笑いながらそう言うと、コーヒーをカップに注ぎながらハボックの為にもう一つカップを出した。

「あ、ありがとうございます。・・・厄介事でもあったんすか?大佐ならちゃんと執務室に居ましたけど・・・」

書類を持っていったのはつい先程の事だ。緊迫感を感じないという事はテロとかの類ではないだろうと判断し、機嫌の矛先は恐らく大佐だと高をくくる。

「全く・・・困ったものだわ。いつもは逃げ出して進まない書類だけど、今日は部屋に篭っているのに進まないなんてね」

ハボックにコーヒーの注がれたカップを手渡して壁に背を預けながらコーヒーを一口飲むとほっと一息つきながらそう言った。
じゃぁあの時険しい顔しながら書類に目を通していたのは、やっぱりその書類こそが厄介な内容だったのだろうかと思いホークアイに聞いてみた。

「今大佐の元に積まれている書類は殆どサインすればいいだけの書類のはずだからそれはないわね」

これはきっとプライベートで何かあったのでしょう、と困った顔をしながら言う。
晴れてても無能なんだから、と軽く舌打ちしたのは気のせいではないだろう。次には愛銃に手がかかるのではないか思い、慌てて先程の袋を開けた。

「これ、大佐の好きなお菓子なんすよ。差し入れたら機嫌直るんじゃないかと思って」

皿にザラザラとクッキーを入れると、マスタング用にコーヒーを用意してホークアイに残りのクッキーの入った袋を手渡した。

「あとはみんなで食べちゃってください」

疲れた時は甘いものって言いますし、と笑いながら出て行くハボックを、ホークアイはご馳走様とカップを掲げて見送った。



廊下で小隊の一人とすれ違い、現場に先に行くよう指示して足早にマスタングの元へと向かった。
さっきのように入室の許可を待たずドアを開ければ、窓の外をぼんやりと眺めているマスタングが目に入いり、こりゃホントに仕事進んでないなーと呆れながら大佐、と声をかけた。

「な、ノックぐらいしたまえ!」

慌てて椅子に座って書面にサインしようとするマスタングにハボックは目を丸くした。存外気配に敏いこの男にしては珍しいと思ったのだ。小難しい本や仕事に没頭している時は多々ある事だが、さっきの様に何もしていない時となると何か考え事でもしていたのだろうか?

「しましたよ、ノック。どうしたんです?ぼけっとしちゃって。寝不足ですか?」

コーヒーとクッキーをほら、という風に持ち上げて見せると俄かに目が輝く上官にくすりと思わず笑みが零れる。
それに気付かれてむっとするマスタングに、しまったと思いながら胸ポケットからタバコを取り出すと、誤魔化す様に口にくわえて火をつけた。

「とにかくそれ食べて書類片付けてくださいね、でないと中尉に的にされますよ」
「・・・今日は脱走していないぞ」
ふてくされてそう言い返してくるマスタングに、仕事が進んでなきゃ一緒ですよと呆れ笑いしがなら言うと、口を尖らせながら罰悪そうにクッキーをつまんだ。
「それじゃこれから俺外回りなんで、ちゃんと逃げないで仕事してくださいね」

そう言って部屋を後にすると、閉めた扉の前でハボックは首をひねった。
なんかおかしい。
どこに違和感を感じるのか分からないが、昨日までは感じなかった違和感に不安の混じった思いが頭を掠める。
しばらく扉の前で考えてみたがそうしていても仕方がないか、と市外へと足を向けた。



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